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アンフーン・グエン(Anh-Huong Nguyen)は

禅の師匠ティック・ナット・ハンの伝統による

マインドフルネスの実践を30年以上も行っている。

 

1988年以来、彼女はアメリカでマインドフルネス・リトリート

の指導を行っており、1992年にはティック・ナット・ハンに

より瞑想教師として認定された最初の生徒の一人である。

 

彼女と彼女の夫トウ・グエンは、1998年にヴァージニア州

フェアファックス・マインドフルネス・プラクティス・センター

(Mindfulness Practice Center of Fairfax (MPCF), Virginia)を

設立した。

 

センターでは、宗派にとらわれないやり方でマインドフルネスの

訓練と実践のクラスを提供している。

 

MPCF(www.mpcf.org)はヴァージニア州オークトンにある

フェアファックス・ユニテリアン・ユニヴァーサリスト集会所という

美しく、隔離された環境の中にある。

 

 

2013年9月に行われたマインドフルネス・ベル(Mindfulness Bell)誌の

ナターシャ・ブルックナーとの電話インタビューで、アンフーンはここに収録されているような

感動的な法の教えを、優しく、しかも熱のこもった口調で語っている。

 

 

 

マインドフルネス・ベル:あなたは長年プラム・ビレッジの伝統による実践を行ってきましたね。

私が知りたいのは、どのようにしてそれを始めたのか、特にどのようにしてティック・ナット・ハンと

最初に出会ったのか、そして彼の教えがその時あなたの人生にどのような影響を与えたのか、ということなのですが。

 

 

アンフーン: 私がタイに出会ったのは随分前のことで、まだ私が母のお腹の中にいた時です。

私の母と父は、プリンストン大学で比較宗教学を学修するフェローシップを得て、

タイが初めてベトナムを離れた時に、サイゴンのタン・ソン・ナット空港まで見送りに来ました。

それは1961年の夏のことで、私が胎児7ヶ月の時のことでした。

私が10歳の時のことですが、居間で坐っていた時、

Hoa Sen Trong Bien Lua(Lotus in a Sea of Fire火の海の中の蓮)という本を手に取りました。

その本の裏表紙に茶瓶からお茶を注ぐタイの写真があったのです。

なぜか私はその写真に引き寄せられ、10分、あるいは15分もその写真に見入っていました。

 

 

マインドフルネス・ベル:その写真から何を受け取ったのですか。

ある種の伝達が起こっていたように聞こえますが。

 

 

アンフーン:言葉で言い表すのは難しいです。

私は自分の中である種の温もりと安らぎを感じました。

ただ写真を見ているだけで幸せに感じたのです。

これで思い起こしたことは、タイがまだ少年だった頃、

仏教に関する雑誌の表紙にあった仏陀の絵を見つめていたという話です。

 

 

マインドフルネス・ベル:タイに直接会ったのはいつのことですか。

 

 

アンフーン:私の家族は、1979年2月14日に小さなボートでベトナムから逃れました。

海が荒れていたため、私たちは何度か生命を落としそうになりました。

幾つかの場所に回された後、最終的にはマレーシアのプラウ・ビドン島にある大きな難民キャンプに落ち着きました。

私の家族 —私の両親と二人の妹と弟 —は、1979年12月13日にフィラデルフィアに飛びました。

スポンサーをして下さったのはカトリックの教会で、ニュージャージー州オーデュボンに住み着くことになりました。

それから6ヶ月ほどして、タイに会いました。

その時タイが私に教えて下さったマインドフル呼吸法の最初のレッスンを今でもはっきり覚えています。

 

タイがおっしゃったのは、

さあ、横になりなさい。お腹の上に手を当てて、呼吸をして見なさい。』と、ただそれだけです。

 

息を吸って、私は今息を吸っているのに気づいています。息を吐いて、今私は息を吐いているのに気づいています。

ということも言われませんでした。

 

私はお腹の上に手をやり、私の呼吸を感じ始めました。

私の家族は仏教徒でしたので、家ではお祈りをし、経を唱えていました。

時には寺院に出かけることもありました。

でも、お坊さんから直接教えを受けたのは、この時が初めてです。

私は私の呼吸に気づいたのです。

私にとって何かとても大切なことが起こったのだということに気づきました。

その時受けたマインドフル呼吸法についての最初のレッスンは、忘れることなく、それ依頼ずっと私の支えとなっています。

 

私たち子供たちは皆、学校では一生懸命に勉強しました。

高校を卒業後、私はラトガース大学に進みました。

ベトナムにいた時から英語の勉強をしていたのですが、それでも理解し、話すことは大変でした。

 

そこでラトガース大学での授業が始まると、私はテープレコーダーを持って行き、幾つかの授業の録音をしました。

家に帰り、授業を聞き直し、何か分からないところがあると、いつも真っ先に質問しようと教授を待っていました。

私はとても熱心でした。

一生懸命学び、良い成績を上げたいと思ったのは、私が心の中で、

ベトナムや世界の他の地に帰り、私の出来るかぎり役に立ちたいと思っていたからです。

 

ところが、1年目の最初の試験の後、私は学修に興味を失ってしまったのです。

教科書を見ても、何も身に付きませんでした。

ごく最近になって、私はその時鬱になっていたのだということに気づきました。

故郷が恋しくてたまらず、友達にも会いたかったのです。

また、祖国ではまだ人々が苦しんでいることを私は知っていたのです。

私は心の中で、何か助けになることをしたいという差し迫った思いをもっていました。

しかし、ベトナムにも難民キャンプにも帰ることができなかったのです。

私は自分が無力で何もできず、麻痺したように感じていました。

絶望感が私の中で積もっていたのです。それでも私には学修をする努めがありました。

 

私の両親は、私たち子供たちの学業を支え、私たちが学修に専念できるよう懸命に働いていました。

一番年上の子として、私は妹たちと弟に良いお手本を示さねばなりませんでした。

しかし、私の心情はベトナムに残してきたままであり、私から学修をしたいという私の意欲を引き離したのです。

今こうしてこの話をしていると、この時私の中にいた19歳の少女に強い同情心を覚えます。

 

 

真の再生

マインドフルネス・ベル:その困難な時を乗り越えることが出来たのは、何だったのですか。

 

 

アンフーン:マインドフルな呼吸法と、タイとシスター・チャンコンへ手紙を書くことでした。

シスター・チャンコンがベトナムの貧しい家族に小包を送っているとのことを聞き、私も同じことをすることにしました。

私は何人かの友人の家族、特に両親が旧政府のために働いていたということで

再教育キャンプに収容された家族に小包を送りました。

 

タイからは手紙で宿題をいただきました

その宿題とは、『自分を幸せにするすべての条件、自分がまだ持っているすべてのものを書き出しなさい。

というものでした。

そこで私は書き出し始めました。

そうすると、驚いたことに、書く紙が無くなってしまったのです。

 

この宿題をする中で私が学んだことは、

ベトナムや難民キャンプにいる人たちのために自分ができないことにこだわってはいけないということでした。

私は泣き出し、それは止むことを知りませんでした。

それは目覚めの涙だったのです。

宿題を仕上げる前に、私の中で変容が起こっていたのです。

私はこれまで以上に今ここに居る自分を感じ、安らかさ、幸せを感じました。

事実、タイからいただいた宿題は仕上げてしまうべきものではなかったのです。

 

それで私は大学に通い続け、ベトナムの貧しい家族に手紙を書き、小包を送り続けました。

シスター・チャンコンから小包を送る時に別々の名前を使うことを教わりました。

そうすれば、なぜ一人の人物が多くの家族に多くの小包を送っているのかの詮索を共産党員から受けなくて済むからです。

私がやったことは、私がその家族の一人であるかのように、発送人として家族名を使うことでした。

手紙では、私はベトナムの貧しい人たちがもっている良い種に水を撒き、励まし、慰めることに心がけました。

アメリカでの私の生活について、私が遭遇した困難についても、素晴らしい経験についても書きました。

時には私は自分より20歳も年上の女性の口調で、時には妹や弟の口調で書きました。

こうした作業をすることとマインドフルネスの実践をすることで、

私は学修を続けることができる気持ちのバランスを保つことができたのです。

 

私が突然大きな絶望の波に飲み込まれてしまった時には、大学のクラスに出ることができませんでした。

それも時が過ぎるとともに、頻繁には起こらなくなりました。

それでも、実際そうした絶望感に包まれた時には、自ら授業に出ることを避け、キャンパスを歩きました。

その時は、それが歩く瞑想であったのだということは知りませんでした。

ただ、私は呼吸をし、歩いていたのです。

キャンパスにあった木々や花々の間を歩くことで、私はリラックスされ、

確固たる自分の存在を感じ、心の平静を取り戻すことができました。

そこで、私は次の授業に出かけたのです。

 

私が伝授を受けたマインドフルな呼吸法についての教えは、日々私を育み、支えてくれました。

ベトナムにいる飢えた子供たちのことを思い、タイとシスター・チャンコンは毎週1回か、2回、

夕食をとらないということを聞き、私も毎週1回の食事を抜くことにしました。

こうした些細なことが、私が恵まれない人たちとの繋がりを保ち、私の心を暖かく保つことに役立ったのです。

私たちはボートでの危険な旅を生き延びた経験を持っています。

 

私たち6人の家族がアメリカ、私の父の言葉を借りるなら、

この『自由なる地』に来ることができたのは、まさに奇跡でした。

 

私の両親が言っていたのは、どんな犠牲を払っても、子供たちを共産党政権の束縛から解放する、ということでした。

しかし、タイとシスター・チャンコンから伝授された教えこそ、この上なく貴重な贈り物だったのです。

その教えが私の眼と心を開いたのです。私は再生したのです。

再生したことで、私は幸せであり、感謝しています。

 

私が心底から願っていることは、この幸せを他の人たちと分かち合うことです。

ラトガース大学在学中に私に起こったことは、真の再生なのです。

その時以来、私は何度も生まれ変わっています。

毎日、タイとシスター・チャンコンからの伝授を受け続けており、その教えを家族、友人たちに伝えているのです。

 

 

人と分かち合う

 

 

マインドフルネス・ベル:私が知りたいのは、他の人たちとどのようにして分かち合ってきたのか、ということです。

他の人にもあなたがしたような再生の経験ができるよう手助けをされましたか。

 

 

アンフーン:他の人たちとこの実践を分かち合いたいという私の願いは、深い感謝の心から出てくるものです。

私はサンガ作りを通して分かち合っています。

サンガこそが私が人生で経験して来たことすべてを分かち合える場だからです。

 

ラトガース大学時代の私の経験から学んだことは、自分の中に出てくる苦しみと向き合うことと、

それと同時に生きていることの喜びを抱きしめることとのバランスを保つことの大切さです。

 

今そこにある苦しみを理解したいと心底から強く願う時には、マインドフルネスの実践は厳しいものではありません。

マインドフルに実践する一息一息、一歩一歩は純粋な楽しみです。

喜びを開拓する実践にせよ、あるいは苦しみを変容する実践にせよ、

マインドフルの実践が明確になり、生き生きとしてくるのは、苦しみのある所においてなのです。

 

真の癒しと変容は洞察なくして起こるものではありません。

私たちがサンガとして共に実践する時には、

マインドフルネスとコンセントレーションのサンガ全体のエネルギーが確固として、かつ強力なものになるのです。

そこに洞察という種が実る豊かな土壌ができるのです。

 

サンガは、私たちが苦しみを受け容れるのを助け、誰も一人ではできないような喜びと幸せを育んでくれるのです。

どのように呼吸をし、歩き、どうすれば体と心にある緊張を解きほぐすことができるのか、

どうすれば喜びを切り開くことができるのか、どうすれば痛みをともなう感情と向き合うことができるのか、

こうしたことを学ぶことはできます。

 

しかし、自分のマインドフルネスだけでは自分の中にある苦しみを支えきれなくなる時があります。

そういう時には、サンガというゆりかごの中にこの苦しみを入れれば、

サンガ全体のマインドフルネスとコンセントレーションにより抱えることができるのです。

 

ニュージャージーにいた頃、私は共に実践するサンガがありませんでした。

タイとシスター・チャンコンはプラム・ビレッジに居たのですが、私は二人が私の中に居ると感じていました。

二人が私に伝授してくださった教えが日々私を滋しみ、支えてくれたのです。

木々、花々、大学での友人たちも私のサンガの一部でした。 実践をするにはサンガが必要です。

サンガは私たちの拠り所です。

私たちの苦しみは、個人の苦しみだけではなく、祖先の苦しみ、全体の苦しみなのです。

サンガなくして、この苦しみを包容し、変容することは困難です。

サンガを作るということは、実は兄弟、姉妹のような仲間作りをすることなのです。

 

 

マインドフルネス・ベル:兄弟、姉妹のような仲間作りをすることは、あなたにとってどういう意味をもっていますか。

 

 

アンフーン: 兄弟、姉妹のような仲間こそ、まさに真のサンガの本質なのです。

サンガの兄弟、姉妹たちの話に深く耳を傾ける時には、

彼らの祖先の方たちと自分たちのことを同時に聞くことができるのです。

彼らの話は決して彼らだけの話ではないのです。

サンガで分かち合う喜びと苦しみは、サンガ全体で抱えるものなのです。

私の苦しみと彼らの苦しみとの区別が無くなった時には、私と他人という誤った区別も無くなります。

サンガで分かち合う苦労は、私たちの心の奥深くに溜まっている苦しみに触れるのを助け、

私たちの心が初めて優しさを感じることができるようにするのです。

 

私がサンガの兄弟、姉妹のお世話をする時は、実は私自身の世話をしているのです。

サンガの兄弟、姉妹が苦しんでいる時、私自身もその苦しみを分かち合いたいと思うのです。

 

それは、法話をする教師として、あるいはサンガの長老としての私の義務だからではありません。

兄弟、姉妹のような仲間を作ること、サンガの世話をすることは、私自身の世話をすることなのです。

 

それはまた、私の母、私の妹、私の家族の世話をすることなのです。

それは当然のことなのです。

 

私は自分が長い竹の小さい一部分だと見ています。

その竹には祖先である私たちの師の叡智と慈悲が流れているのです。

私の中を流れ、私がサンガのために尽すエネルギーは、実は私のものではないのです。

 

私が実践するのは、その長い竹の私の部分を空にすることで、

そこで源泉からの水が流れ易くなるようにしたいからなのです。

『サンガはすべてを運んでくれる』

アンフーン・グエンとのインタビュー